大御堂だより


知足院歴代先師の位牌

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茨城県坂東市・萬蔵院什物の知足院歴代住職の位牌

萬蔵院・中川大僧正の御厚意で大御堂へ限定里帰り

知足院第1世法印宥玄、7世宥俊は徳川家康より寺領五百石を賜り、別当に補任される。
第2世は光誉は江戸在府となり、江戸別院として建立されていた護摩堂(江戸知足院)の経営にあたる。
徳川家光は、筑波山造営を命じ、七堂伽藍が造立される。貞享3年隆光は、綱吉の命をうけ筑波山知足院の住職に就任。
元禄元年隆光大僧正は、知足院を江戸神田橋外に移し護持院と改め、大僧正、新義真言宗総緑となる。
元禄3年、中禅寺は寺領に500石の加増をうけて計1500石となる。
その後、護持院は新義真言宗僧緑寺院となり、智積院・小池坊の両本山を凌ぐ権勢となっていった。