巡る


坂東三十三観音霊場への巡礼

坂東三十三観音札所・巡礼と歴史

観音様の妙智力

観音様の功徳を説くお経「妙法蓮華経」の中の「普門品第二十五」(通称観音経)の「妙智力」という一句。妙とは「言いようもなくすぐれている事物/様相」、智とは「目指されるべき最高の知恵/知識」を意味し、観音様はそのようなお力を持って、われわれの苦悩を救ってくださいます。その観音様を信ずる観音信仰が古来より継承され、それが西国三十三観音霊場、坂東三十三観音霊場、秩父三十四観音霊場と日本百観音という形で巡礼の道が示されました。

三十三観音霊場

日本には、観音信仰、地蔵信仰、不動信仰など多くの仏様の信仰があります。筑波山大御堂の本尊でもある観音信仰は、古来より継承され全国津々浦々に浸透し民衆信仰を代表するものになっています。仏像の中でも観音像は多数を占めており、また観音信仰の縁起や説話なども多く伝えられ信仰を集めています。

観音様の功徳を説く観音経の中に、「一心に観音様を念ずれば、その声を観じて観世音菩薩はわれわれの苦悩をお救い下さる」とあります。そして、慈悲の心のはたらきで、姿を三十三に変化して救いの手を差し伸べるとあります。

この三十三に合わせて始められたのが、三十三観音札所巡りであります。札所から札所へのお祈りは観音様への帰依をあらわし全国各地の多くの人々が観音様への信仰が伝承されています。



巡礼

観音札所巡りの伝説によれば、巡礼の始めは大和長谷寺の開山徳道上人が養老年間(719-723)に閻魔大王の勧めによって発願、多くの人々を誘ったことにあるといわれます。しかし誰もが信じるわけではなく、しばらくはそのままのとなっていました。やがて約二百七十年後、花山法皇が河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人・播州書写山の性空上人を先達として、自ら巡礼されこれを中興ともいわれました。この両者に関する巡礼創始は、室町時代の禅僧の語録などにも明記され、かなり以前から伝承されていたのです。江戸時代まで多くの人々がこれを史実として疑わなかったようであります。

しかし、史実のうえでは、近江三井寺の覚忠大僧正が、応保元年(1161)近畿地方に散在する三十三ヵ所の観音霊場を七十五かけて巡られたのが、三井寺僧侶の伝記を集めた『寺門高僧記』の記録から創始であるといわれています。したがって、観音札所巡礼は、平安末期の創始で修験者たちによるものであることが知られています。そして札所のうえに「西国」の二字が冠せられるようになるのは、鎌倉時代、東国の人々の呼称によるものであろうと推定されています。この東国人の西国札所に寄せる熱い思いは、やがて坂東札所の制定へつながっていきます。



坂東 札所の伝へ

坂東三十三観音札所の始まりは、それを構成する約十カ所に及ぶ霊場の『縁起』に見ることができます。それらの『縁起』には、各霊場に花山法皇が巡って来られ、その霊場を「札所」として定めていったと記されています。また、『百番観音霊験記』によると、花山法皇が大和長谷寺に詣で、暁に祈念しておられると、香衣の老僧があらわれ、「我れ坂東八州に於いて身を三十三所に現ず。其の能く霊場を知るのは河州石河寺の仏眼上人なり。彼と倶に坂東巡礼を始行してあまねく道俗男女を導くべし」とのお告げをうけたとも書かれています。

『百番観音霊験記』とは、江戸時代末期の錦絵「観音霊件験記」をもとに、服部応賀が記し、歌川国政が挿絵を描いた百観音霊場の霊験談を記したものです。これらの記録から、坂東札所は花山法皇によって巡られた霊場がその始まりとされており、その伝承は少なくとも江戸時代までは信じられていたようです。しかし、史実のうえでは花山法皇が関東に下向されたのは考えにくいものであり、西国札所の場合と同じように、札所の権威づけを意図したものといえます。坂東札所もこの考え方に倣って行われていたものといえます。

  • 大御堂 御本尊(正面)

    百番観音霊験記
    坂東廿五番常州筑波大御堂千手観音

  • 大御堂 御本尊(正面)

    納経帳
    天保十一年(1840)中禅寺参詣

坂東 札所の起こり

先述したように、坂東札所の起こりは確固たる史実によるものではありませんが、平安時代の西国三十三観音霊場を始まりとして、これにならい鎌倉時代に入ると、坂東地方でよく知られていた観世音菩薩を祀る寺院(霊場)が札所として選定されいったことは間違いありません。

当時、中央政権(幕府)が鎌倉にあったことから、中央より西の地方、現在では近畿地方周辺を「西国」と称されていましたが、その「西国」に対し、箱根の坂、足柄峠より東の国の地域が「坂東」と呼ばれていました。この呼称にならい、関東地方の観音霊場を網羅する札所が坂東札所と呼ばれ、現在にも続く坂東三十三観音霊場として制定されていくこととなります。これが坂東観音霊場巡礼の始まりとされており、驚くことに坂東三十三観音霊場の札所は、成立以来現在に至るまで一箇所も変更がなかったとされています。

大御堂に関しては、大御堂本尊千手観音様が札所に加えられるまでの模様を語る資料はまったく伝わっておりません。また二十五番の数が当初から決まっていたかも不明とのことです。しかし巡礼所になったことで、筑波神本地仏の性質に関係なく、巡礼する衆生に願いをかなえ、利益をもたらすみ仏として著名な存在になっていき、一段と賑わいを増していったことは紛うことなき事実です。

  • 坂東三十三観音納経帳

坂東三十三観音札所・霊場

※)坂東三十三観音公式サイトより。
※)各寺院からのリンクは坂東三十三観音公式サイト内へ紐付けられております。

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